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夢は生涯自転車の旅人!Taka

カナダ留学

バンクーバー(学校生活)

カナダへの留学は周りの人と比べると圧倒的に成功しように思えます。しかし、留学した時の僕の英語の実力は「0」です。本当に限りなく0に近い「0」です。

まずは、留学エージェントの選び先が良かった気がします。「west coast」といいます。リンクを貼っておきますので、気になる方は是非覗いてください。素晴らしいエージェントです!!(https://www.wie.jp

アットホームなエージェントは優しく至り尽せりで、「空港お出迎えもしますよ!」と言って頂いたのですが、過酷な場に身を置きたかったので「自分で行きます」と断らせてもらいました。

空港から20〜30分で着く様な距離だったのですが、携帯を使えないという状況と、携帯を契約して、それからオフィスに向わないとたどり着けないと思い、街の方に小学生並みの英語力で聞き込み、携帯屋に到着し、エージェントのオフィスに約3時間かけて到着。(笑)

オフィスからは暖かく迎え入れて頂き、「空港出迎えなしで、オフィスに来る前に携帯を契約して来る人はあまりいない(笑)」と早くも異端児ぶりを発揮。

そして、ホームステイ場所に向かう。これも一人で行くと決めて、予定よりも2時間遅れて到着。疲れて早く寝たが、これが大失敗。ここから1週間の地獄の時差ボケの被害に遭う。

学力の無い私は学校に通う。エージェントがおすすめしてくれた学校「ELS」に入学。(https://www.els.edu)リンク貼っときます。

学校は半年通いました。1ヶ月毎にテストがあり、合格すると1つ上のクラスに上がれるシステムで、101(1番下)から順調に106まで上がりました。

半年の学校生活を終えて、既に所持していた、「ワーキングホリデービザ」を使わず、ちょっとグレーゾーンではありますが、そのまま学生ビザのまま3ヶ月「ファームステイ(農場ボランティア)」をして英語力を向上を目指す。

というのも、暮らしていたバンクーバーは日本人が多く、歩いていれば日本語は聞こえてきます。韓国人、中国人も非常に多く英語漬けになりたかった僕は、どうしてもバンクーバーから離れたかったのです。

そこで農場にボランティアをしに行く事で、日本人がいない街で英語を学びたいと考えて、「大陸横断列車」(寝台列車)に乗ってサスカチュワン州に移動します。

サスカチュワン(ファームステイ)

ここに来た事が、僕の人生観を大きく変えることになりました。

そこには、他にも僕みたいなボランティアがいて

  • カナダ人
  • フランス人
  • スイス人
  • ドイツ人
  • エクアドル人
  • メキシコ人

の方達と一緒にボランティアをしました。多国籍過ぎて笑いました。(笑)

仕事の内容は、だいたい一日3〜4時間で

  • ベッドメイキング
  • 野菜を取りに行く
  • みんなのご飯作り
  • 掃除
  • その他雑用

でした。とんでもない程楽でした。正直「これでいいのか?」「部屋とキングサイズベッド用意してもらって、3食出るのに、この仕事内容でいいの?」と不安になるほどでした。

しかし、これが他の国では全く違う価値観でした。

「働き過ぎじゃない?」「1日も休みがないなんて信じられない」と

勤勉な日本人には、この愚痴には衝撃的でした。。。

それからの僕たちは、ヨーロッパ勢を筆頭に

  1. 朝少し仕事をしたらビール飲んで
  2. 昼食を食べて
  3. 勝手に車を借りて、湖に行ってはしゃいで
  4. 戻って仕事するかと思いきや、馬に乗って遊んで
  5. 夜飯を食べて
  6. キャンプファイヤー

ほぼ毎日過ごしてました(笑)

僕の今までの人生では考えられないことが、日常に起こっていました。

  1. 起床
  2. 仕事
  3. 就寝

これが日本人。これでいいのだと思っていました。

しかし、違う。海外ではこれは異常。

「人生とは、楽しむためにあるのもの」

こういう人生があっていいのかもしれない。と思うようになりました。

そんな楽しい日々を過ごしていたある時、人生観を大きく変える事件が起こりました。

ファームステイ先の主人が突然、心臓発作で亡くなってしまったのです。

昨日まで、夕食時にあんなに盛り上がっていたのに、突然帰らぬ人になってしまいました。

静まりかえる家。不穏な空気が包み込む日々。

そんな中で、カップルのフランス人が僕に言います。

「たかは、ここで3ヶ月いる予定なんだろ?、もったいないよ!もっと色んな経験をしないと!人生1度きりなんだよ!本当にいつ死ぬかわからないんだから、楽しく悔いのない人生を送らないと!だから俺と一緒に旅をしないか?」

この2人はキャンピングカーでカナダを旅していました。

すぐには決心がつきませんでした。「ワーホリを使って働いてお金を稼ぐ」という目的があったので。しかし、この人達のおかげで、このファームを一旦離れようと思いました。

そしてそのカップルに、「君たちと一緒に旅がしたい!でも、ずっとは迷惑だと思うから、新たなファームステイ先を見つけれたから、そこに降ろしてくれないか?」

2人は大喜びで僕を受け入れてくれました。

サスカチュワンで出会った

  • 僕らフランス人と日本人グループ
  • メキシコ、エクアドル、ヨーロッパ勢

はここで別れて、それぞれのキャンピングカーで旅をスタートさせました。

マニトバ(ファームステイ)

フランス人のカップルと一緒にキャンピングカーで、サスカチュワン州からマニトバ州へ移動しながら旅をしていました。

そして、3〜4日後に新しいファームステイ先に到着して、新たなファームステイ生活が始まりました。

ここのファームステイは夫婦の2人とワンちゃん2匹、ボランティアは僕1人。

養鶏場と畑でニンニクを栽培していました。仕事は

  • 朝一で、卵の収穫
  • 畑の耕し、ニンニクの種植え
  • 休憩
  • 畑の耕し、ニンニクの種植え

一日約4〜5時間。週休1日制でした。

サスカチュワンの時ほどのパーティー感はありませんでしたが、日本語が拙い僕に奥さんは、英語でしっかりゆっくりコミュニケーションを取ってくれましたし、養鶏場の日々が面白く鶏の世話が楽しく、耕から種植えまでやったこともなかったですし、ワンちゃん2匹も可愛いですし、奥さんの作る手料理は美味しいものばかしでした。

田舎過ぎるので、休みの日にどこか行けるわけもないので、家でじっと。毎日飽きる程の卵を食べていました。

そこでの生活が2ヶ月。僕のビザの有効期限が迫ってきていましたので、移動先を考える必要がありました。

条件は、日本人がいなさそうな所。働き先がある所。

考えている中で、一緒にキャンピングカーで旅していたフランス人の人から、「元気かい?次はどこに行くんだい?俺はホワイトホースに行くことに決めたから、またどこかで会おうな!」

…ホワイトホースってどこだ??

調べると、ユーコンテリトリーという州で、アラスカの近く。極寒の地のため、冬にはオーロラを見ることができる。

ってことは観光地。働き先があると思う!それにこんなホワイトホースなんて聞いたこともない所、日本人あんまりいないだろう!と思い…

「俺も行く!」と返信して、住む場所を見つけて、飛行機でホワイトホースへと向かいました。

ホワイトホース(ワーホリ生活:前半)

10月の半ば、僕はホワイトホースに着きました。

びっくりするくらい寒かった。既にマイナス10℃。

家に着いて、早々に防寒着、ブーツを買い込みました。

家は一軒家の1室を借りてました。家賃は確か500$くらいだった気がします。フランス人の主人。ケベック出身、カナダ人と僕のシェアハウスでした。

ひとまず、働き先を見つけるために、履歴書となるものを作成して、配る毎日。4〜5日経っても音沙汰無く、「ヤバい!このままではお金だけが無くなっていく。。。」

カナダのハローワークみたいなところに職を探す為に出向きました。最初に履歴書見せてと言われるので、渡すと、お姉さんが僕の履歴書を修正してくれました。「やったー!」と思っていたら、作成した履歴書一面に赤ペンで修正されて、「ここを直してきて明日持ってきなさい」と。

一応、大変な語学学校に半年通って、日本人と3ヶ月会わなかったのに、僕の英語力はまだまだ足元にも及ばないのか…と落胆しました。

次の日、履歴書を直してハローワークに持っていき、「まあまあいいんじゃない?これでもまだ直すところはいっぱいあるけどね。頑張って。」と厳しい言葉と励ましの言葉を頂き、これで明日から頑張って仕事を探すぞ!!!!と意気込んでいた帰り道、僕の携帯に電話があり、、、「あなたを採用したいのですが、まだ働く場所は決まってませんでしょうか?」

…もちろん嬉しかったです!!すぐに即答して「働きたいです!ありがとうございます!」と言いましたが、あのハローワークの一連はなんだったんだ…と思わずにはいられませんでした(笑)。

僕の英語力悪くないんじゃね?と。

勤め先は、ホワイトホースの中国人の方が経営されてる日本食料理屋(Tokyoi sushi)

ジャパレスかー(ジャパニーズレストランの略)…と正直落ち込みました。だって、せっかくカナダに来たのに、日本食レストラン!英語漬けの日々を妄想してましたし、それを望んでいましたので。

しかし、不幸中の幸い日本人が1人も居なかったので、英語環境としては申し分なかったです。さらにホールをやらせてもらいました。英語力がない僕に、これ程恵まれた待遇を頂けたのは本当にラッキーでしたし、本当に感謝しています。

英語漬けの毎日。働き漬けの日々を過ごして約1ヶ月くらい経った時、1人の女性がオーナーと仲良く話していて、「たか!日本人だよ!」と。。。

「ちわー!!」とかなり陽気な女性。「私ここで元々働いてたの!良いところだよ!良かったね!頑張って!!あ!今度飲み会するから来る?」

凄く圧倒されました。しかし、良い機会なので飲み会に参加させてもらい、誘われたお家に行くと、まさかの日本人がいっぱい。。。

久しぶりの日本の方との、飲み会は凄く楽しく、これからよく入り浸るようになります。母国語は凄い楽ですし、楽しいんですよね。。。

それからのホワイトホースでの生活は…

  1. 仕事
  2. 飲み会

でした。。。

ちなみにオーロラは見ることができましたが、特級、特大のはお目にかかれませんでした。

オーロラは、「イエローナイフ」に行くことをオススメします。

そして、狙い目は「秋とゴールデンウィーク」です。覚えときましょう

冬にはマイナス30~40℃まで下がる、この極寒の地で既に5ヶ月が経とうとしていました。

カナダの田舎地域に来ても結局、やることは、日本にいた時と変わらず、仕事と家の行ったり来たりでした。

生活は楽しかったです。仕事は楽しいですし、給料はいいですし、日本の方がいっぱいいて、週末にはほぼほぼ飲み会がありましたし。

そんな普通の生活を送っている時に、職場の店長から、「永住権を取得する気はある?」と尋ねられました。

というのも、このホワイトホースは、永住権のプログラムがありまして。

人口減少の影響により、カナダのほかの州よりも、永住権が取得しやすいのです。

ある程度の英語力は必要ですが、2年働けば永住権が取得できるのです。

このことを、日本のみんなに報告すると「すごい!!」「来て半年も経たないで、そんな待遇ずるい!w」「私は永住権取得の従業員の順番待ちなのに!!」

と。すごいことなんだなと思いました。

けど、正直悩んでました。

私は寒い地域が苦手ですし、太陽が恋しいですし。日本に帰って就職する気満々でしたし。

どうしようと悩んでいる時に、あの言葉がよぎります

「人生は一度しかない」

もし、二度とカナダに戻ってこれないとしたら、どこに行けば一番後悔がないだろうか?

ジャスパーに行きたい

というのが私の本心でした。

ジャスパーは、私が寝台列車で移動したバンクーバーから、サスカチェワンの間にあるアルバータ州の観光地で、それはそれは、「この世の中で一番美しいのではないか?」と錯覚してしまうほどの、美しい町でした。

どうせ日本に帰ることになるのだとしたら、ジャスパーで暮らしてみたい!!

そこから、ジャスパーの仕事や宿を探すことになるのですが。

これが、摩訶不思議、奇跡のような、運命に導かれてるような、ジャスパーに招きいられてるような…

宿と仕事が1,2日で全部見つかるのです。

長くホワイトホースにいる人たちからは、「夏のホワイトホースを経験しないで去るのは、おかしい。」「もったいない」と避難轟々の嵐でした。

けれでも、自分を信じたかったのです。

人にあれこれ言われようと、自分が決めて、自分を信じたかったのです。

5か月過ごしたホワイトホースを急遽1か月後に旅立つことになったのです。

そして、このジャスパーに移動したことが自分の人生を大きく変えることになるのです。

ジャスパー(ワーホリ生活:後半)

人生は旅!旅する楽しさを皆様と分かち合いたいです!
では、今日も一日旅を楽しんで下さい!

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